迷子猫探し:捜索中の飼い主が傷つく言葉とは<編集後記No.6>
てんちゃんは、たまにもの凄くものうげな表情をする時があります
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てんちゃんを探している最中は、数えきれないほどへこみましたし、色んな人に色んなことを言われてさんざん傷つきました。
(例えばこんなこととか)
そのどれもこれも、結局はもとをただすと私たちがまいた種なので、言ってきた相手を恨んだりしても意味はないよね、と、基本はなるべく深く考えないようにしてました。
でももしも今、ご自身の周りに飼い猫を迷子にしてしまい、一生懸命探している最中という方がいらっしゃる場合は、ぜひ気にしてもらえたらな、と思うことがあります。
それは、例えば
「猫は旅行なんて連れていくべきじゃなかったのに」
とか
「留守にする時は、シッターさんを頼むのが一番なんだよ」
などといったように、「今さらどうにもならないけど、(本来は)こうすれば猫を迷子にしないで済む」という方法論をかざすこと、です。
おっしゃること、ごもっともで、私たちも何度となく探している最中にその部分を悔やみました(実際てんちゃんが無事戻ってきてからは、家を出張などで長期間あけなければいけない時は、ペットシッターさんに家にきてもらうようになりました)。
でも、いなくなってしまっているまさにその時に、それらのことを言われても、もうどうすることもできないし、それまで以上にダメな自分たちをせめて落ち込んでしまいます。
少し前、北斗晶さんが乳がんになったり、川島なお美さんが胆管がんで亡くなった時に、「こうすればがんにならなかったのに」とか、「ああやれば余命はもっと延ばせたのに」という世論がたくさん湧いて出てきてましたが、コトがおきてしまったあとに後出しジャンケンのようにそれらを言い始めてもあまり意味がないのと同じで、今、大変な事実と直面している人にとって必要な言葉は、決してそういうものではないのです。
それよりももっと、今その問題に立ち向かうにはどうしたらいいと思うのか、ということを考えることの方が重要なので、もしもなにか言葉をかけてあげたいと思うのであれば、その時に自分が思うベストの解決方法を伝えてあげる方がよっぽど建設的だと思います。
仮にそれができない場合は、何にもできないけど、祈ってます!だけでも構わないと思います。
少なくとも私たちは、下手に後ろ向きな正論をふりかざされるよりも、はるかにその方が勇気づけられました。
またこれは、探している自分たちにもそっくりそのまま当てはまります。
迷子捜索が手詰まり気味になって気持ちが滅入ってくると、あの時こうしていれば、ああしていれば...という思いが頭の中をぐるぐるかけめぐり、無駄にめそめそしてしまうと思うのですが、どんなに強く後悔しても、猫は見つかりません。
だとしたら、難しいかもしれないけれど、できる限り前向きに、今できることを少しでもいいから考える方が、猫発見に大きく近づくことができると思います。
反省も,後悔も、猫ちゃんが見つかってからまとめてどーんとやってください(わたくしは今、こうしてブログを書きながら、シュクシュクと猛反省中です。。。)。
どうかどうか、傷つく言葉にめげずに頑張ってください。
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