迷子猫探し:行方不明ペットは、一体いつまで探したらいいのか<編集後記No.23>
てんちゃんは、本当はものすごく甘えん坊なのかもしれません。
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てんちゃんを探している時、1度だけダンナと大きくもめたことがあります。
それは、てんちゃんが無事でいる姿を確認できてから2週間くらい経った頃だったと思います。
ほぼ毎日現場に通っては探す、ということを繰り返していましたが、一体いつまでこの状況をつづけるべきなのか、という思いがふと頭をよぎったのです。
わたくしは、そしてもちろんダンナも、てんちゃんを諦めるつもりは全くなく、無事家に連れて帰るまでは絶対に捜索活動はやめない、と心に決めてはおりました。
ただちょうどその頃、「普通じゃない」状態を敏感に察知した飼い犬コルクがお腹を壊して、珍しく家で粗相してしまうという出来事が起こりました。
その時は、今だけの辛抱だから、と思いながらコルクに接していました。
でも、これって本当に今だけなの?
一体いつ、てんちゃんは戻ってくるの??
と思うと、日常生活の色んな事を、今だけだから、と言いながらおろそかにしていることに気がつきました。
てんちゃんを探すために、それ以外のことを全て犠牲にしていた、と言ってもいいかもしれません。
もちろんてんちゃんにはそうやっても余りあるほどの責任と価値があるものだと思っていたので、それが惜しいと感じた訳ではありません。
だけど、もしこれがこの先もずっと長期戦として長引くようであるならば、この状態を自分たちの日常に組み込んで、この異常な状態すらも、日常に変えていかないといけない、と思ったのです。
「その努力は10年続けられるものなのか、甘すぎず、厳しすぎない量を見極める」
この言葉は、以前わたくしが読んだ、プロゲームプレイヤー・梅原大吾さんの著書にあったものですが、もしもこの先10年かかろうと20年かかろうと、てんちゃんを諦めない、と思うのであれば、今日明日、疲弊してぶっ倒れてしまうようなやり方で乗り切ろうとすることは間違っていると思ったのです。
もしもこれが、3日後に控えた試験のための努力であるならば、3日間寝ないでがむしゃらにやる、という方法もありかもしれません。
でも終わりが保証されていない中で、戦っていかないといけないとするならば、当然毎日徹夜で乗り切れる訳もなく、それなりのやり方を考える必要があります。
なので例えば、てんちゃんに会えるまで毎日何時間でも探し続ける、という現状でのやり方ではなく、他に生きていく上でやらねばならないこともてんちゃん探しと同等のものとして扱って、例えば1日のうち、探すのは1時間だけにする、など、交通整理が必要だと感じたのです。
でもこれには相当ダンナが反発しました。
てんちゃんがいなくなってしまった、という現実を、日常のものとして受け止めることにものすごい抵抗があったようです。
だけどわたくしは、その事実から目を背けてはいけないと思いました。
逃してしまったのは紛れもなくわたくし達で、その結果、そばにてんちゃんがいないのも、現実なんです。
・・・結局この時は、現場にいるわたくしと東京にいるだんなと、電話越しに2時間ほど喧々諤々話をしましたが、結論らしい結論は出なかった気がします。
そして幸いなことにそれから2週間ほどでうちは無事てんちゃんを連れて帰ることができたので、結局「てんちゃんがいない異常事態」を、本格的に自分たちの日常のものとする、ということはやらずにすみましたが、今でも時々、もしまだてんちゃんを保護できていなかったら、わたくしはどうやって探し続けていたのだろうか、とふと思う時があります。
今、まさに飼い猫ちゃんを探している方に対して、すぐ見つかりますよ、とも、あきらめたほうがいいですよ、とも言えないもどかしさがありますが、もしも長期戦に突入して疲れ果ててしまっているようでしたら、1度そのあたりのことについて、改めて考えてみるといいかもしれません。
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